函館病院再興記念碑

ハコダテビョウインサイコウキネンヒ

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■碑文

(表)
函館病院安政年間始建設焉萬延文久之際移于山之上町明治四年又移于愛宕町
後廔罹祝融之災因天神町営医学所十四年 聖駕臨幸乃築行在所于茲尋営官立
病院此地爽塏帯山面海空気流通頗適療養三十三年五月惜罹回禄尽為鳥有不得
已假移豊川病院中然屋舎狭隘不能容衆也於是欲再築旧趾区議不果荏再経歳月
孝平渡辺翁以為遺憾前是譲業務於嗣子以為閑散之身専為慈善之事嘗募有志諸
氏興鶴岡学校其後附與基本金一萬円及九百歩地以為永世維持之法時年六十歳
矣自言積財千萬冨侔王侯若有不肖之子一朝蕩尽家屋忽為他人之有徒遺笑郷黨
而己不若益世利国遺微績於後年也余独立殖産子孫亦宣独立殖産於是投與金十
萬円再築此病院則明治三十六年四月鳩工募傭日夜督促廣袤三千三百余歩中構
廣廈殿堂廊廡規制宏敞左右連病室浴舎厨豕所建築一千四百七十歩其他庭除遊
歩之場垣墉径階之設総擇都府良規越三十八年九月落成以為之函館区附属而医
療器械及装飾什具一切以区費設備焉乃聘国手数名配剤看護厮養蒼頭亦称之是
以診察手術薬餌臥褥之備無所弗至四方乞治者雖不遠到都会入此院則為足矣蓋
翁之遊欧米也見聞有資力者晩年専為慈善之事務救済貧民利益郷国有感於心而
為此挙也世之貯財者多知利巳而不知益世鹿台之財鉅橋之粟豈能得遺子孫哉如
翁可謂能聚而能散者矣我聞百歳来之以徳翁雖非期其未者天豈亦得不来之乎哉
明治三十八年秋九月   工事監督池田直二 同請負人 福田由松
井亀泉

■解説

函館病院は1859年(安政6年)に設立されたが、火災等により度々移転した。1900年(明治33年)にも火災に遭い、再建はなかなか進まなかった。このため、初代渡辺熊四郎が金10万円を寄付して、1905年(明治38年)に病院が再興された。この碑はこの病院の再興を記念する碑であると同時に、熊四郎の彰徳碑でもある。
2000年(平成12年)に、函館病院がこの地から函館市港町へ移転したため、記念碑だけが残されることとなった。

■参考文献

「函館市史資料集」第27集(函館市史編纂委員会)、「道南の碑」(永田青雲 幻洋社 1996年)

大エリア 函館市
小エリア 西部地区
所在地北海道函館市弥生町2
制作時代 明治
主題時代 明治
カテゴリ 歴史, 碑・像