ペリー提督 来航時の足跡絵図碑
ペリーテイトク ライコウジノアシアトエズヒ
■碑文
(表)
「ペリー提督 来航時の足跡絵図」
(向かって左上)箱館における日本会談
(同左下)姿見坂の一景
(同中央)黒船ポーハタン号
(同右上)箱館山からの眺望
(同右下)称名寺の境内
(裏)
「ペリー提督 来航時の足跡絵図」
1、黒船 ポーハタン号(当時 小嶋又次郎が描いたもの)
1854年5月17日(新暦)午前9時にアメリカの黒船艦隊2隻が箱館港に入港 その後更に3隻が入港した。
入港した艦船は旗艦 (1)ポーハタン号 2,500トン (2)ミシシッピー号 1,800トン (3)マセドニアン号 (4)サウザンプトン号 (5)バンダリア号
2、箱館における日米会談
1854年5月22日 午前11時よりペリー提督と松前藩家老・松前勘解由(かげゆ)との会談が沖之口役所(後の水上警察、西警察、現在の函館市臨海研究所)の近く、山田屋寿兵衛(じゅへえ)宅で始まる。
ペリーの要求とは、休息所とする家屋2, 3棟の借り入れ、遊歩区域の境界線を定めることなどであった。しかし、一家老の身分では決定権もなく押し問答が続いた。
3、箱館山からの眺望
箱館に着いたペリー艦隊一行は、早速当時の臥牛山(がぎゅうさん)(箱館山)に登り、各種の測量や調査を始め、海図の作成等を実施 箱館湾の出入港の安全を図る。
当時の箱館山山頂には観音像が建立されていたが、明治32年に当時の軍部が函館山を要塞化するため、指示により山頂より降ろされ称名寺湯の川説教所(現在の湯川寺(とうせんじ))に収蔵され現在に至っている(称名寺:須藤隆仙氏談)。
4、姿見坂の一景
函館の姿見坂(現在の函館市弁天町13番付近)から見た風景である。これは、ペリー艦隊に乗り組んでいた従軍画家ハイネが描いたもの。
ペリー提督一行が当時の箱館を市中見学した際、実行寺、称名寺、浄玄寺、当時の八幡社(現在の函館八幡宮)を訪ねたことが判明っされている。
5、称名寺の境内
これも当時ペリーが箱館市中を散策しているときに、称名寺の境内の一角で日米交流をしているときの光景を描いたものである。(須藤隆仙氏、談)
函館ロータリークラブ
創立75周年記念事業
平成21年10月24日建立
函館ロータリークラブ 会長 柴田繁男