ペリー来航百年記念碑(アメリカ水兵の追悼碑)

ペリーライコウヒャクネンキネンヒ(アメリカスイヘイノツイトウヒ)

ペリー来航百年記念碑(アメリカ水兵の追悼碑)

2人の水兵の墓

■碑文

(表)

″Sleeping on a foreign shore,
Rest,sailor,rest! thy trial o’er;
Thy shipmates leave this token here,
That some,perchance,may drop a tear,
For one that braved so long the blast,
And served his country to the last″

(裏)

外つ国の海辺に眠り
憩へかし 舟人よ憩へかし
汝が試煉(こころみ)は果てたり
汝が友の舟人等はこの記念(かたみ)を
ここに残せり
涙そそぐ人もありなん
幾年か雨風をしのぎ
祖国のために生命(いのち)献げし人に
土谷喬雄 玉城肇訳
この碑文は安政元年(一八五四)ペリーが箱館
に来航したとき、不幸病死したヴァンダリヤ
号乗組のジェームズ・G ウォルフ(五十歳)と
G W・レミック(十九歳)の二水兵の霊に対
し同艦乗組員が心から敬意を払って
献げたものである本日を卜してペリー箱
館来航百年祭を行うに当り、石に刻ん
で永く記念とする次第である
昭和二十九年七月十七日
函館市長 宗藤大陸

■解説

安政元年(1854年)4月、アメリカ合衆国提督ペリーが艦隊を率いて箱館へ入港したとき、不幸にもバンダリヤ号の水兵J・G・ウォルフ(55歳)とG・W・レミック(19歳)が、相次いで病死した。応対する松前藩にとっては、全く異例のことだったが、下田・横浜でも前例があるということなので、その要請に応じて埋葬の場所を指図し、4月30日と5月2日にそれぞれ埋葬が行われた。ペリー艦隊はこの地を去るにあたって、白ペンキ塗の木板を設置して、異国に眠る2人の友を弔うため、追悼文を刻んだ記念碑の設置を依頼したが、結局この依頼が、すぐに実行されることはなかった。
100年後の昭和29年(1954年)、ペリー来港100年記念祭にあたって、この碑が建立されることになり、7月17日、船見町の外国人墓地にたたずむ2人の墓碑の傍らで除幕式が行われた。詩は「ペリー提督日本遠征記」のなかに記されていたものである。

■参考文献

「いしぶみ」西部編(函館市役所土木部公園緑地課 1982年)、「函館市史資料集」第27集・第46集(函館市史編纂委員会)、『函館市史』通説編第2巻(函館市 1990年)、昭和29年7月18日・18日(夕刊)付「北海道新聞」

大エリア 函館市
小エリア 西部地区
所在地北海道函館市船見町23(外国人墓地(プロテスタント)内)
制作時代 昭和
主題時代 近世
カテゴリ 碑・像