樺太引揚者上陸記念碑
カラフトヒキアゲシャジョウリクキネンヒ
■碑文
(表)
樺太引揚者上陸記念碑
(裏)
北海道知事 堂垣内尚弘書
昭和二十年八月十五日大東亜戦争終結の詔勅が渙發せられ樺太はソ連軍の占領する地となった。当時在留日本人は約四十万人終戦前後の混乱期に樺太廳は老幼婦女子の緊急疎開を実施したが漸次それも不可能となり残留者は一日千秋の思ひで祖國への帰還を待った。昭和二十一年十二月五日第一次引揚船が真岡より函館港に接岸してから第五次最終引揚船に至るまで當地に上陸した引揚者の総数は三十一万一千四百五十二人であってその再生の第一歩を印したこの地に樺太引揚者上陸記念碑を建立し併せて不幸引揚船中に於て死亡せられた百五十六名上陸後病院にて死亡せられた九百二十三名合計一千七十九名がこの地に眠る。仍て有志相諮り永久にこれら犠牲者の靈を弔ふ
昭和五十二年九月十二日
社団法人全国樺太連盟
函館支部長 寺田稔
■参考文献
「いしぶみ」西部編(函館市役所土木部公園緑地課 1982年)