土方歳三最後の地
ヒジカタトシゾウサイゴノヒ
(表)
土方歳三最期之地
函館市長 吉谷一次書
(裏)
昭和三十三年十二月十四日
若松小学校同窓会 父母先生の会有志 建立
土方歳三
武蔵国(東京都)生。近藤勇らとともに新撰組を結成。仙台で榎本等と合流し、旧幕府脱走軍では陸軍奉行並となる。明治2年(1869年)5月11日箱館の一本木関門(現若松町)付近で戦死。
新撰組副長として京都の街に勇名をはせた土方歳三は鳥羽伏見の戦いの後新撰組を率いて各地を転戦して北上し仙台で旧幕府海軍副総裁榎本武揚が指揮する脱走艦隊と合流した。
明治元年(一八六八年)十月、蝦夷地(北海道)に上陸した榎本軍は、箱館を占拠して新政権を樹立、土方はその陸軍奉行並の要職についた。
翌二年四月、新政府軍の総攻撃に榎本軍は各地で敗退したが、土方が守った二股口(現・北斗市)だけは最後まで落ちなかった。
しかし、同年五月十一日、ついに箱館も政府軍の手に落ちた。土方は箱館奪回を目指し、五十名の兵を率いて一本木(現・若松町)の関門を出て箱館の市中に向い、敢然と切り込んでいったが銃弾に当たって倒れ波乱に満ちた生涯を閉じた。時に三十五歳であった。
函館市
■追加解説
碑石は自然石。1992年(平成4年)11月19日、若松町グリーンベルトから若松緑地へ移設された。
土方岁三
天保6年-明治2年(1835年-1869年)。
出生于武藏国(东京都)。他与近藤勇等人组成新撰组,在仙台和榎本等人汇合,在旧幕府脱走军(因为不愿随幕府投降而离开的分支部队)中担任陆军奉行并一职。
土方歲三
天保6年-明治2年(1835年-1869年)。
出生於武藏國(東京都)。他與近藤勇等人組成新撰組,在仙台和榎本等人匯合,在舊幕府脫走軍(拒絕受降的舊幕府軍)中擔任陸軍奉行並一職。
ฮิจิคาตะ โทชิโซ
ปีเทมโปที่ 6 - ปีเมจิที่ 2 (ค.ศ.1835 - ค.ศ.1869)
เกิดที่เมืองมุซาชิ (กรุงโตเกียว) รวมตัวกันกับคนโด อิซามิตั้งชินเซ็นกุมิ เข้าร่วมกับเอโนะโมโตะที่เซ็นได ในกองทัพทหารที่หนีทัพรัฐบาลบากุฟุเดิมเป็นกองทัพบก เสียชีวิตในสงคราม แถวๆ อิปปงงิ คัมมง (ตำบลวาคะมัตสึในปัจจุบัน) เมื่อวันที่ 11 เดือนพฤษภาคม ปีเมจิที่ 2 (ค.ศ.1869)
「いしぶみ」(函館市役所土木部公園緑地課 1983年)、「函館市史資料集」第37集(函館市史編纂委員会)、平成4年11月19日付け「北海道新聞」