浅田松翁之碑

アサダショウオウノヒ

hako081■碑文

(表)
浅田松翁之碑

函館公園称為海内美観方其創設當場師之任専為開築者曰浅田松翁松翁既没所親諸人将立石於園中以紀其事来請余文松翁初名清次郎晩更松翁越前敦賀人少来江戸仕幕臣某氏己而辞帰後復来学築園術於山本某盡得其法於是遍游覧海内勝地以資其技技乃大進所適富家豪戸争聘使治庭園高曠深奧任意布置輒極其工然不自屑為場師遂来居函館以他業為生性好義狭為人済難救急者甚多如戊辰戦乱漕運途梗之時奮応官命単身住糶米二萬石於酒田以給土人糧食其尤著者也及有公園開築之命乃欣然曰此固吾務也於是棄業赴事経営規画督励工徒労瘁而不顧又多出貲以助工費官賞以金輒復用以鳩工庀材不留錙銖凡閲二歳而工事告竣美観完成而土人咸楽焉松翁没年八十九先没数年手書叙少壮以来経歴以遺所親其於公園開築専帰功於他人不敢自伐而特以脩治不断守園得人為願其言甚切蓋欲全公衆歌楽於無窮也翁之嘉恵公衆如此其厚凡游園中者亦能體翁意趣務増飾美観久而不已則庶幾酬其労乎余既多松翁之為又嘉諸人揚善之挙也乃為之書至若公園地区廣袤起工年月林泉形状及所見山海景物則園記既載之今不復道也
従六位勲五等西尾為忠撰書篆
明治三十年四月建               井亀泉刻

(裏)
渡辺熊四郎
平田文右衛門
今井市右衛門
田中正右衛門
金澤彦作

■解説

函館公園開築専務として、その造設に寝食を忘れて努力した浅田清次郎の彰徳碑である。浅清次郎(1809年~1896年)、文化5(1809)年越前生まれ、文久元(1861)年箱館谷地頭に土着、割烹店「浅田楼」を開いた(現、谷地頭温泉)。箱館戦争の時、府知事に依頼され、酒田より米を回送したり、谷地頭の湿地を埋め立てたりたりした。明治11年、函館公園を設ける時に、生来花卉草木を愛し、築庭園芸の素養があったので、進んで造園工事を担当し、12年11月に公園は竣工した。このとき清次郎は71歳であったが「この公園を完成するまでは安心して死ぬことはできない。家に財産を残しても子孫が誤れば、すぐなくなってしまう。公園に全力を注ぎみんなで楽しむ方が賢明である。」という信念を持って、造園にあたった。

■参考文献

「函館公園」(函館市役所土木部公園緑地課 1987年)、「函館市史資料集」第27集・第46集(函館市史編纂委員会)、「道南の碑」(永田青雲 幻洋社 1996年)

大エリア 函館市
小エリア 西部地区
所在地北海道函館市青柳町17(函館公園内)
制作時代 明治
主題時代 明治
カテゴリ 碑・像