函館港改良工事記念碑
ハコダテコウカイリョウコウジキネンヒ
■碑文
(表)
明治二十九年六月起工
函館港改良工事紀念
明治三十二年四月建之
■案内板
函館港改良工事記念碑
函館港の改良を多年にわたり計画していた函館区は、明治28年改良工事の実施を決定し、翌29年6月工事に着手し、同33年9月に完成した。
改良工事は港内のしゅんせつ面積427,000㎡、土量238,000立方m北及び北西風によって起こる港内の漂砂を防ぐため、海岸町先海岸(現中央ふ頭)より沖に延長454mの防砂堤を築造し、また西風による港内波浪を防ぐため、弁天台場(安政3年~文久3年築造)地先海面を147,000㎡にわたり埋立て、市街地、船渠用地、漁船船入澗等を造成した。
この埋立工事には、弁天台場の土塁石垣が多く使用され、いまも船入澗防波堤、護岸防潮堤として残り、記念碑の御影石も土塁石垣に使われた、あご石のひとつとも伝われている。
函館港改良工事は「、近代港湾整備の先駆者である廣井勇勇博士の調査・設計に基づき進められた。
北海道で最初の近代港湾整備事業として国費助成(20万円)が投じられた。
■解説
函館港の改良工事は、1890年(明治23年)道庁技師廣井勇が北海道各港湾の調査を命じられ、技師福士成豊を函館に派遣して測量させた。調査は1895年(明治28年)になって、一応完結した。工事の着工は、函館船渠会社の敷地のことで延引し、1896年(明治29年)6月に起工、一切の工事が竣工したのは1900年(明治33年)9月のことだった。この碑はその時に建てられた記念碑である。
■参考文献
「函館市史資料集」第27集(函館市史編纂委員会)