山海漁猟供養塔

サンカイギョリョウクヨウトウ

NO11 山海漁猟供養塔

 

 

■解説

法蔵寺は古くは勢至堂と呼ばれました。元禄三年(1690)三月二十四日初代住職の真雄大和尚が勢至菩薩を持ってきて草庵を結んだのが始まりで熊石庵と称しました。
二代目が法順和尚で法蔵寺の境内にある山海漁猟供養塔にまつわる伝説の人です。 山海漁猟供養塔は道指定の文化財で
石碑寸法  高さ115・0cm横34・3cm奥行き19・5cm   石碑文は 正面上部  「 梵字(3文字)」 右下「 願主  松前」
正面中央   「山海漁猟群萠下種結縁為菩提也」
側面右「享保六辛丑年(1721)」側面左「五月廿三日」となっています。
寺伝によれば、法順和尚という念仏行者が享保五年四月熊石村にきて無住の勢至堂(現在の法蔵寺)に在住して布教しました。ちなみに法蔵寺の宗派は法然和尚開祖の浄土宗です。この前年来当地はどうしたことか、村民の主漁業である鰊が取れず、生活にも窮し、一村の維持も困難でありました。この時法順和尚は村民を集め、「遥か沖合には魚が群れをなしている。多少骨はおれるが、協力して計画を立て皆で取ってはどうか」と言われ、半信半疑で出漁し、苦心の末漁場を見つけて大漁し、ようやく愁眉を開いたが、その魚名が分からず和尚に尋ねたところ、和尚は自分の名の「法」と村に花を咲かせた「花」をあわせて「法花」(ほっけ)と名付け、後に魚に花と書いてホッケとなりました。翌六年待望の鰊もとれ報恩感謝の意味を込め村民一丸となって、この供養塔を建て法要をしたといわれています。
また法順和尚は村民の懇願により、二代目勢至堂住職となったのです。
この伝説はさておき、北海道におけるこの種の供養塔としては最古のものであり、北海道の村落形成、経済、生活文化を知るための得難い遺産として、北海道有形文化財に指定されています。

■参考文献

2007『熊石史実年表』八雲町編

大エリア 八雲町
小エリア 熊石地区
所在地八雲町熊石根崎町389
制作時代 近世
主題時代 近世
カテゴリ 碑・像