木喰行道作日本廻国供養碑

モクジキギョウドウサクニホンカイコククヨウヒ

NO12 木喰行道作日本廻国供養碑

 

■碑文

正面上部  円形のなかに梵字を配している
正面右    安永八年五月十八日  願主
天下和順
正面中央  日本廻国供養
日月清明       行道 (花押)
正面左    施主  藤左衛門

■解説

法蔵寺入り口左側に山海漁猟供養塔と並び、新設堂宇の中に保存されいる。熊石町平田内川(ひらたいがわ)に産する花崗岩の自然石に陰刻されたものである。
この廻国供養碑は昭和二十九年法蔵寺墓地内に埋もれていたのを、磯島靖一氏によって発見され、法蔵寺境内に移されたものである。この碑の発見によって木喰行道は、安永七(1778)年に蝦夷地に渡航し、七、八、九年の三か年間熊石に滞在していたことを証拠だてる貴重な資 料となっている。
木喰行道は甲斐国出身の廻国六十六部の木喰行者である。安永二(1773)年五十六歳廻国発願と作仏行脚を志し、相州大山寺を発して諸 国を行脚したが、安永七年に蝦夷地に渡航した。木喰の廻国納経帳によれば「奥州松前庄熊石邑  大田山本地大日如来門昌庵」とあってその日付けは安永七年七月吉日とあるので、この頃に熊石村に来、翌八年には法蔵寺に廻国記念碑を残し、更に九年四月二十四日には2m余の大地蔵菩薩像(道指定文化財・法蔵寺)を完成させた。安永九年五月十八日には松前に至って真言宗阿吽寺に「奥州松前大田山大日如来  阿吽寺」という納経受取を得て本州に渡っているので、熊石には三年間(安永7ー9年まで)居住し、多くの庵寺や地蔵堂に作像を納めたと考えられる。
このような事から、熊石は木喰の作像活動の出発点であり、木喰仏の原点であるともいえる。

■参考文献

2007『熊石史実年表』八雲町編

大エリア 八雲町
小エリア 熊石地区
所在地八雲町熊石根崎町389
制作時代 近世
主題時代 近世
カテゴリ 碑・像