菅江真澄の歌碑
スガエマサミノカヒ
碑文正面
五月雨の はれまもとめて 海士の子が わかめかしほす 浦のまさごじ
菅江真澄
裏面碑文
菅江真澄は三河(愛知県)の人、江戸時代後期の紀行家で天明8年( 1788年)北海道松前に渡ってきて4年間滞在した。北海道滞在中の 寛政元年(1789年)4月19日から6月30日まで真澄は太田山参詣のため松前と太田の間の日本海沿いの地方を周遊しているが、碑の歌はこの旅での見聞を紀行文としてあらわした「蝦夷喧辞弁(えみしのさえき)」中から、太田参詣での帰路、相沼川の増水による川止めと、真澄自身の風邪という事情から同年5月9日から23日までの15日間この泊川に逗留した折に詠んだ浜風景の歌である。多くの人びとの想いを映しているような青い海と遠くの岬に連なる山なみそして潮騒の音の織りなす浜風景を先人が詠んだ郷土の文化遺産を顕彰しさらに私たちの友情をはぐくんでくれた泊川に対する感謝の気持ちと、変わらざる友情の証としてこの碑を建てる。
荒谷勝麿 川上ミエ 杉村クリ 手塚敏子 藤谷賞麿 荒谷レイ
北川たか 杉村 進 手塚広志 星キミエ 加藤啓之 小山たえ
田村スミ 天満八枝 本多タキ 加藤隆一 笹森正司 土谷 隆
天満ユミ 益田正司 加藤たき 佐藤ミヨ 土谷敏枝 野上サキ
森竹さつ子 亀田谷義光 塩越礼子 手塚竹義 藤谷ツル 八木武弘
(氏名は小学校卒業時の氏名とし順序はアイウエオ順による)
※泊川小学校の昭和22年卒業生
菅江真澄は三河ノ国(愛知県豊橋市)の生まれ、天明3年(1783)30歳で故郷を離れ、北上、信濃、越後、奥羽、蝦夷などを巡り、文政12年(1829)秋田で没した。この間数多くの紀行文、絵、和歌を残し、民族学の貴重な資料として高く評価されている。
その和歌の一首が、泊川小学校卒業生を育んだふるさとの情景を彷彿させてくれることから、同窓30名、卒業40年の記念事業として、この歌碑を建立したものである。(真澄の歌碑は道内では胆振管内虻田町についで2基目である。)
2007『熊石史実年表』八雲町編