厚沢部町鷲ノ巣(字富里)に入植した山田致人(愛媛県出身)が明治23年(1890)に創立したと伝えられる教会堂跡です。
開拓使退官後の致人は、大野村(現北斗市)に居住しました。明治14年、七重村定住の聖公会伝道師だったデニング師から洗礼を受け、キリスト教徒となりました。明治15から16年にかけて、致人はデニング師の帰国に伴い渡英しました。この際に、イギリス式の農業を実地で目にする機会があったと考えられます。
イギリス式の農業適地として、館村を選定し入植しました。致人の入植後、致人を頼り二木小児郎や鳶川耕三郎らが相次いで入植し、いずれもキリスト教徒だったため、一時は、館村はキリスト教徒の村と呼ばれたほどでした。
その教会堂も信者の減少とともに消え、昭和53年(1978)松橋純吉氏と相馬金蔵氏がその跡地に標柱を建てました。