厚沢部高等学校跡

旧厚沢部高校跡石碑
厚沢部高等学校は、昭和23年(1948)12月に道立江差高校俄虫分校の夜間農業科として開校しました。最初は厚沢部小学校に併設された建物で授業が行われていました。昭和26年(1951)には新築された中学校へ移転しました。

昭和27年(1952)に江差高校から独立して俄虫高等学校となりました。その後、昭和57年(1982)4月に檜山南部地域の高校再編成によって、江差高等学校へ統合移管されました。卒業生総数1,069名でした。

■碑文

北海道厚沢部高等学校跡

<表面>

碑文

私たちの母校である町立厚沢部高等学校は、昭和57年4月1日、桧山南部地域の高等学校再編成にあたって、将来展望から江差町字伏木戸に移転新築された道立江刺高等学校へ統合移管され、昭和23年12月5日開校以来、33年3ヵ月をもって、その歴史と伝統に終止符を打った。

ここに、若き青春の一時期を学んだ卒業生1169名は光り輝やく母校の灯をこの石碑に託して建立したものである。

昭和57年3月27日

北海道麻生高等学校同窓会

<裏面>

逍遙歌 作詞作曲 大山忠敬

こぶしの香り 慕わしく

山狭の道 逍遙えば

渓流岩に しぶきして

静寂の森に こだましぬ

ああこの郷に 四星霜

この学舎に 四春秋

いざ同胞よ 集いて讃えん

美わし此地の我等が母校

大エリア 厚沢部町
小エリア
所在地
制作時代 昭和
主題時代 昭和
カテゴリ 歴史
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