山津波犠牲者慰霊碑
ヤマツナミギセイシャイレイヒ
高さ73cm、幅151cm。花崗岩製。大岩(おおいわ)地区はずれ豊浜トンネル乙部町側国道沿い山側にある。
昔の乙部町豊浜(とよはま)地区と八雲町熊石(やくもちょうくまいし)(旧熊石町・くまいしちょう)相沼(あいぬま)地区間は立待岬(たちまちみさき)を海岸に沿って狭い国道が通っていた。昭和37年(1962)10月17日、当時あった第三号トンネルと第四号トンネル間の崖が大規模な地すべりを起こし、監視中の作業員と偶然通りかかった函館バスをのみ込み、11人が亡くなり3人がいまだに行方不明である。
この慰霊碑は犠牲者の冥福を祈るため、昭和38年現場付近へ建てられたが、同48年(1973)事故の教訓を生かして新しい(現)豊浜トンネルが開通した際に現在位置へ移転した。
■参考文献
乙部町史(2001)下巻 P595