開拓創始者・鈴木義宗は入植者の定住策として子弟の教育に強い関心を持ち、入植者が50余戸となったことから、明治32(1899)年、簡易教育所の設置認可を受け、西の台に15坪の平屋で床に藁を敷き、机の代用として丸太に板を釘付けにし三人用として、石板・石筆を頼りに読み書き・そろばん・手習の授業が行われた。明治37(1904)年になり、さらに教育環境を整備するため、有志の寄付により28坪の校舎を新築し、翌年から第四利別尋常小学校に改称された。
参考資料:改訂今金町史(上巻)
■碑文
第四利別簡易教育所跡
八束小学校百周年記念
題字 八束小学校長 阿部和美