木古内の坊
キコナイノボウ
大正7年(1918)に北海道庁が編纂した『北海道人名字彙』の中に「木古内ノ坊」という項目があります。
木古内ノ坊こと川又友吉は弘化3年(1846)の生まれで、生まれつき目が不自由でした。家族も病のため満足に働けない厳しい境遇の中、友吉は父と病気がちな弟二人を養うため、函館へ出て付け木(マッチ)を売り歩きます。ボロボロの服を身にまといながら、いつも笑顔をたやしませんでした。友吉は孝行者として道南一帯に広く知られるようになり、明治10年(1877)には開拓使から表彰されましたが、明治21年病に倒れ、翌年43歳で生涯を終えました。
現代人が忘れ去ろうとしている純真な人間性、親孝行、正直、勤勉などの徳目を見出し、因果応報を信じ、末長く後世に語り継ぐため、「木古内の坊の会」により『木古内の坊物語』が発刊され、平成18年(2006)に像が建てられました。
■参考文献
木古内町「新木古内町史」2023