峠下村平山先生の墓トウゲシタムラヒラヤマセンセイノハカ 明治維新後、箱館府転覆計画に失敗し、榎本軍に投じた平山金十郎の墓。間宮林蔵・近藤重蔵と共に文化の三蔵と称された平山行蔵の弟子の平山鋭次郎が、安政年間(1854〜1860)に、この峠下で私塾を開いた。文久2年(1862)に婿養子となった金十郎が塾を継ぎ、読み書きや武術を教授し、村民に慕われた。転覆計画失敗後は、新政府の追及から逃れ、明治7年(1874)に再び塾を再開している。明治36年(1903)に没したが、有志によりこの地に墓が建てられた。