中島郷跡ナカジマゴウアト 安政年間(1854〜1860)にこの地域に七重村在住の中島辰三郎の指導で、越後から移民が入り田畑が拓かれた。戸数が増え、村として認められると辰三郎の姓にちなんで中島郷と名付けられた。文久元年(1861)には越後の稲荷神社から分霊し、翌年に社殿が作られた。明治42年(1909)に大川の三島神社と合併し、現在の大中山神社となった。