球聖久慈次郎の像

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■碑文

(台座)
球聖久慈次郎の像 水原茂 謹書

(ボール型側碑)
趣旨
函館太洋倶楽部は明治四十年の創設でここに我国最古の社会人野球チームとして七十年の歴史と伝統をもつ社会人野球屈指の名門である。この顕彰碑を建立するに当り我が郷土の輝かしいシンボルとして今後育つであろう青少年の健全育成並びにスポーツ振興のため非常に意義あることと考えここに同選手の偉業を永久にたたえると共に功績の数々を後世に残すべく故久慈次郎選手顕彰碑建立期成会をもって設立したものである。
昭和五十二年八月十四日
故 久慈次郎選手顕彰碑
建立期成会会長 田中誠一郎

■解説

久慈次郎(1898年~1939年)は、大正・昭和期に活躍した野球選手(捕手)である。久慈は、盛岡中学で野球をはじめ、早稲田大学に進学して全国にその名をとどろかせた。大学卒業後、1922年(大正11年)に函館大洋倶楽部に入団して、都市対抗野球などで活躍した。
1934年(昭和9年)に全米選抜チームを招聘して、日米野球大会が開かれたときには、日本選抜チームの主将を務めた。11月8日、湯川球場で第3戦行われ、ベーブ・ルースやルー・ゲーリックらのスター選手に、ヴィクトル・スタルヒン(旭川中学)、沢村栄治らを率いて挑んだが、試合は5-2で全米チームの勝利に終わっている。
その後も日本を代表する選手として活躍したが、1939年(昭和14年)の実業団野球大会でこめかみに牽制球を受けてその生涯を閉じた。
この久慈次郎像は、北を向いてキャッチーミットを構えていて、旭川のスタルヒン球場にあるスタルヒンの銅像に、相対するように設置されている。

■参考文献

「いしぶみ」(函館市役所土木部公園緑地課 1983年)、「日魯創業100年の軌跡」

大エリア 函館市
小エリア 中央部地区
所在地北海道函館市千代台町22(千代台公園内)
制作時代 昭和
主題時代 大正, 昭和
カテゴリ 碑・像