理想郷

リソウキョウ

■碑文

(表)
理想郷

農住団地建設を顧みて
昭和三十年代に入り近郊農業地帯は都市側からの一方的蚕喰により市街地の無秩序な拡散が進行し農業経営は著しく圧迫されるに至った。昭和四十五年この地帯が都市計画法により市街化区域に定められたがこの年は米の生産調整が行われるなど我国農業に多くの問題が提起された年でもあった。更に同年五月農業法の一部が改正され新たな農地等処分事業が農協事として位置づけされ加えて農村と都市との調和を図った農村住宅団地建設計画推進事業が政策としてとりあげられるに至った。
亀田農業協同組合は時代の要請に応えるため昭和四十六年定款変更を行う等積極的に都市化対応を進めることとなり翌昭和四十七年二月この地域が全国でも数少ない農住計画推進地域に選定されたのを契機として農協ははじめて地域社会建設計画に参画することになった
顧みてこの意義深い事業が各方面の期待に応え所期の成果を納め得たことは偏えに柴田四郎前副知事をはじめ関係各位のご指導ご協力によるものと感謝いたし新しいこの街が永く平和でありますことを祈願します
函館市亀田農業協同組合
前組合長理事 川井藤五郎

事業完成の喜びと共に
ここに完成した新市街地は農地として永く米作の中心地帯であったが時代の新しい流れに呼応して農民を中心に関係地主百七十三名が亀田農業協同組合と一体となり自らが地域開発の主体となって昭和四十八年七月北海道知事より土地区画整理組合設立認可を受ける運びになりました。事業の規模は面積五十・一ヘクタール総工費十六億五千万円にのぼり完成までには多くの難問に遭遇しましたが国及び道並びに函館市の手厚い助成やご指導を頂き更に私達の理想郷建設への願望と相互の協調がこの事業成功への大きな要因となりました。
新しくこの街に住まれる人々の限りない幸せを祈ります
函館市本通中央土地区画整理組合
理事長 高村 登

(裏)
1 経過概要
昭和47年2月  農村住宅団地建設計画推進地域として北海道の選定をうける
47年8月  土地区画整理組合設立準備委員結成
48年5月  函館圏都市計画土地区画整理事業として都市計画決定 面積48.1ヘクタール
48年7月  亀田市本通中央土地区画整理組合設立認可
48年9月  第1次仮換地指定
48年9月  造成工事着手
48年12月 函館市 亀田市 合併
48年12月 第2次仮換地指定
50年12月 事業施行区域拡大の都市計画決定変更 面積50.9ヘクタール
51年7月  第3次仮換地指定
52年7月  造成工事完成
53年7月  換地処分
2 事業の概要
(1)施行区域 本通町・鍛治町の一部
(2)施行面積 50.9ヘクタール
(3)公共施設 道路総延長12,236メートル
公園6ヶ所18,182平方メートル
(4)総事業費 16億4千8百万円
財源補助金 6億1千2百万円
保留地処分金 9億6千万円
寄附金等 7千6百万円
(5)施行期間 昭和48年度~昭和53年度
(6)土地所有者数 188人

評価員
荒川弘
岡田光治
小野耕太郎
工藤竹松
谷口勇
木島政之
故水島玉蔵

函館市中央土地区画整理組合
理事長 高村登
副理事長 寺分政吉
〃 木島勝春
理事 川井藤五郎
〃 秦徳雄
〃 水島重男
〃 岡田孝次郎
〃 桃井秀春
〃 山之内武男
〃 米沢十平
〃 高岡忠作
監事 佐々木正
〃 荒川初次郎

総代
荒川弘      水島政之    堀内直政
小中雄蔵    吉野徳一    水島勝美
岡田光治   故岩沢勇太郎   中村秀夫
川村富秋    大山勝男
工藤政五郎   蒲生彦市
佐々木和勇   工藤竹松
斉藤百太郎   小林修
高村正美    佐々木博
竹林勲      関本宣男
寺島政一    竹田建吾
野村敬三郎   谷口勇
松前シナ     野沢勇治

■解説

北海道知事 堂垣内尚弘 書

■参考文献

「いしぶみ」(函館市役所土木部公園緑地課 1983年)

大エリア 函館市
小エリア 北東部地区
所在地北海道函館市本通2丁目35(本通公園内)
制作時代 昭和
主題時代 昭和
カテゴリ 碑・像