洲崎館跡スザキダテアト 松前藩の歴史書『新羅之記録』(しんらのきろく)には、長禄元年(1457)のコシャマインの戦いで功をあげた武田信広が蠣崎季繁の養女である安藤政季の娘を妻とし、同年築いた館と記述されています。 発掘調査では、掘立柱建物跡や竪穴建物跡の住居のほか、中国産の青磁・白磁、瀬戸産の壺、珠洲産のすり鉢などがみつかっています。 洲崎館は、蠣崎氏が天の川北岸への勢力拡大の始まりとなる館跡として、非常に重要な拠点として16世紀初頭まで機能しています。