安政5年(1858)に七飯に移住してきた八王子千人同心の飯田甚兵衛が、文久2年(1862)に逝去した母を供養するために作らせた地蔵。
背面に「勝正安政五午年十二月蝦夷地在住之蒙命北来之後七重村在住ス今年不幸而北堂逝ス因為菩提之作之」と彫られている。
甚兵衛は開墾に従事し、開墾地は後に「飯田郷」と呼ばれた。明治12年に飯田郷と七重村が合併し七飯村となったことから、町名由来を知る資料として重要であり、また八王子千人同心の七飯村移住を記す歴史資料として貴重なため、平成3年に七飯町指定文化財に指定される。
現在は、宝琳寺境内の小さな地蔵堂に安置されている。