男爵薯発祥の地ダンシャクイモハッショウノチ 明治40年に、この場所に清香園農場を開いた函館ドック代表取締役 川田龍吉は、アイリッシュコブラ―という品種のイモ輸入し、試作実験を繰り返した。 次第に周辺の農家でも栽培されるようになり、大正期になってから七飯村農会によって種芋として出荷される動きとなり、川田龍吉の爵位を引用し「男爵薯」と命名され、全国に広まった。 男爵薯は戦後の食糧難を救ったこともあり、後日、誕生の地である七飯町と五稜郭公園内に記念碑が建立された。