国分館跡
『北海道旧纂図絵』(函館市中央図書館所蔵)によると厚沢部町の館村に「第十四国分館」と呼ばれる中世城館があったとされています。館主は松前大館の守護村上政儀の家臣江口権之頭顕輝とされています。
また、松浦武四郎が弘化2年(1845)に訪れた際の記録(『再考蝦夷日誌』)では「むかし、この村に酋長一人居住せし」とされており、館主のような豪族がすんでいたことが伝わっていたようです。
字名改正前の小字名では、国分館跡周辺は「館野沢」となっており、旧「大字館村」の由来は国分館跡周辺を起源とするものであったと考えられます。
昭和45年の埋蔵文化財所在調査では陶器片が採取されています。