昭和53年(1978)3月に厚沢部高等学校が農業科から普通科へ転換し、農業科が閉課されたことをきっかけに建立された石碑です。建立地は厚沢部高等学校学校が農業実習地として利用してきた檜山農事試作場跡地の一角です。
昭和47年(1972)頃からの普通科志向が高まり、農業高校としての存続が危惧されました。昭和49年(1974)に校下の保護者や生徒に対する意向調査が行われ、その結果、全日制普通科高校として再出発することとなり、農業科を閉課することとなりました。昭和53年(1978)の普通科転換までに、827名の卒業生を送り出しました。