利別村鈴木農場記

トシベツムラスズキノウジョウキ

利別村鈴木農場記
利別村鈴木農場記

八束(やつか)地区の開拓功労者・鈴木義宗(よしむね)の顕彰碑
建立:大正5(1916)年9月

■碑文

(表面)
利別村鈴木農場記
農ハ天下ノ本生民ノ憑ル所古来之ヲ重ズル所以ナリ余東都ニ寓スル年有リ常ニ四方ノ士ニ接シテ屢北海道ニ未開ノ地多キヲ聞キ以爲ク拓殖ノ業極テ難シト雖モ之ヲ墾クハ国家ノ利子孫ノ計宜ク其開發ニ力ヲ盡シテ公私ニ益スベシト於是明治二十九年北海探検ノ途ニ上リ遍ク全道ヲ跋渉シテ地ヲ相シ官ニ請テ本場及膽振國山越郡八雲村農場ヲ創設セリ當時此地平野ハ則汗潦氾濫矮木疎密斷續ノ間蘆葦雜草簇生シ丘陵ハ則千古ノ深林老樹枝ヲ交テ陰翳畫晦ク荊棘繁茂筱竹地ニ滿チ猛獸横行蚊虻人ヲ惱シ堅氷期外ニ於テハ殆ド入ルヲ得ザリキ故ニ此ニ農民ヲ移スヤ先ヅ瀦ヲ疏シ徑ヲ通シ蝸廬ヲ結テ草萊ヲ闢キ拮据經營實ニ二十年竟ニ熊羆ノ巣窟ヲ化シテ良田ト成スニ至ル在昔ノ光景ヲ追懐スレバ宛モ別天地ノ感有リ場民ノ勞モ亦多トス可シ今ヤ人皆其堵ニ安ジ産業漸ク盛ナルヲ見ル豈悦ブ可キノ顯象ニ非ズヤ因テ茲ニ場民ト共ニ竣功ヲ祝シ其梗概ヲ勒シテ後昆ニ傳フト云爾
大正五年九月
鈴木義宗誌

■解説

今の八束地域はアイヌ語でオチャラッペと称したが、昭和8(1933)年の字名改正で鈴木義宗の出身地をとり、八束としたもの。
鈴木義宗は千葉県安房郡富浦町八束の出身で、明治28(1895)年に北海道開拓を志し、翌年渡道。開拓地を八束と八雲の2か所に決め、八束には樫村清徳の名義で1200町歩に及ぶ未開地の開拓許可を受けた。同時に道内から20戸、福井県から33戸を移住させ、西の台に利別村鈴木農場事務所を設置し、開墾を進めた。開拓初期は大洪水などの災害が続発し、あまりの厳しさに耐えかね小作人が転出するなど困難を極めたが、鈴木は成功年限を延長する許可を取るなどして被災者を励ました。この努力が実り、現在のような美田地帯が形成され、地域の発展につながった。
この碑は義宗翁ゆかりの西の台に設けられ、自身による「鈴木農場記」の一部が刻まれている。

■参考文献

改訂今金町史(上巻)

大エリア 今金町
小エリア
所在地瀬棚郡今金町字八束
制作時代 大正
主題時代 明治, 大正, 昭和
カテゴリ 碑・像
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