シャクシャイン古戦場跡碑
シャクシャインコセンジョウアトヒ
■碑文
「シャクシャインの戦争」クンヌイ古戦場跡
一六六九(寛文九)年、和人との交易の不平等に怒りをつのらせたアイヌのおさシャクシャインが、アイヌモシリ全域に呼びかけ、呼応したアイヌによって軍を編成、松前藩に対する一大軍事蜂起となった。
シャクシャイン軍は七月末にはクンヌイに到達し、クンヌイ川をはさんで、松前軍と対峙する。アイヌの毒矢と和人の鉄砲の打ち合いが続いたが、やがてクンヌイに指揮官松前泰広が合流すると武力に劣るシャクシャイン軍は後退を続け、オシャマンベから更に本拠地シベチャリ(現新ひだか町)まで後退させられた。シベチャリに退いたシャクシャインは松前軍との和睦をよそおった酒宴で殺され、戦いは終息に向かった。
クンヌイ川をはさんだこの地は、松前を目指して攻め寄せたシャクシャイン軍と松前軍との、最大の激戦地の跡である。
この戦いは、先住民族アイヌと中央政権との主従関係の成立を意味しない。
それは十九世紀初頭から二度の幕府直轄を経て、明治期からの近代法体系の中で漸次形づくられたものである。さらに戦いの勝ち負けは、生き方の善し悪しを意味してはいない。
この地に眠る両軍犠牲者の御霊を鎮め、明日を生きる教えの礎として、ここに碑文を刻す。
二〇一六(平成二十八)年九月建立
長万部町長 木 幡 正 志