サラキ岬-咸臨丸終焉の地

サラキミサキ

咸臨丸終焉の地碑咸臨丸は1857年にオランダで製造された軍艦で、勝海舟らが太平洋横断をしたことでも知られています。
明治3年(1870)になると開拓使が民間の海運会社に咸臨丸を貸与し、商船として北海道開拓移民の輸送に当たることになりました。
明治4年、仙台藩白石城主片倉小十郎邦憲(くにのり)の家臣団が北海道へ渡ることを決意。第三陣として咸臨丸が出発しました。
暴風や高波に遭いながらなんとか9月17日函館に寄港。病人を下船させ20日に小樽へ向けて出発します。しかし、当別沖に差し掛かった頃暴風雨に吹き付けられ木古内町泉沢のサラキ岬沖で暗礁に乗り上げました。2歳から83歳までの乗船人は地元の人々により救助されますが、船体は海中に姿を消しました。

昭和59年(1984)、サラキ岬の沖合で鉄製の錨が発見されました。これが咸臨丸のものとして木古内町郷土資料館「いかりん館」に保存展示されています。

大エリア 木古内町
小エリア
所在地
制作時代 近世, 明治
主題時代 明治
カテゴリ 歴史
by
このページの本文とデータは クリエイティブ・コモンズ 表示 2.1 日本ライセンスの下に提供されています。
  • 本ページに掲載しているデータは、自由に利用・改変できます。
  • 本ページに掲載しているデータを元に、2次著作物を自由に作成可能です。
  • 本ページのデータを元に作成したものに、データの出典(本協議会のデータを利用している旨)を表示してください。
  • 本ページのデータを編集・加工して利用した場合は、データを元に作成したものに、編集・加工等を行ったことを表示してください。また、編集・加工した情報を、あたかも本協議会が作成したかのような様態で公表・利用することは禁止します。
  • 本ページのデータを元に作成したものに、第三者が著作権等の権利を有しているものがある場合、利用者の責任で当該第三者から利用の承諾を得てください。