山形庄内藩士上陸の地碑
やまがたしょうないはんしじょうりくのちひ
明治18年(1885)から19年にかけて、北海道開拓と北方警備を目指して山形県鶴岡から105戸がこの地に渡ってきました。
記念碑は昭和40年(1965)、鶴岡地区開基八十周年事業として字本町702番地に標柱を建立したのが始まりです。47年、この場所に町立病院が建設されることとなり、中学校通り線の町有地に石碑を新設建立しました。その後平成22年(2010)9月、北海道新幹線建設に伴い、現在地に移転されました。
■碑文
北門の警備と蝦夷地開拓、自立自営の大使命を帯び、明治18年から同19年にかけて山形県鶴岡を出発、酒田港より御用船にて此の地に上陸し、庄内藩士、佐藤洋孝と共に105戸が帯刀を鍬にかえ土地墾闢を志向す。
所謂、士魂を農魂にと皆をあげ決然轉身の勇を揮い、大谷地、棚部岱、瓜谷、吉堀、中野、達川に移住し、爾来 鏤骨の辛苦と苦難の農耕を続け、歴代に受け継がれ、此処に87年の今日、水田酪農郷鶴岡を築く。
改めて先人の労苦と偉業を偲び永遠に伝えん
酒井忠明書