石碑「尾山徹三先生之墓」

セキヒ「オヤマテツゾウセンセイノハカ」

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■解説

明治22年(1889)に建てられた尾山徹三の墓。

天保3年(1832)に福山(松前町)に生まれた尾山徹三は、松前藩士として幕末維新期に活躍するが、明治3年(1870)に家禄を失い江差へ移った。

明治7年(1874)、江差の私宅にて尾山塾を開いた。人気が高まった明治8年(1875)には建物を新設して江明学校と改称した。

明治11年(1878)に公立柏樹学校(今の江差小学校)が開校すると、尾山や子弟も柏樹学校へ移った。
しかし、公立学校になじめなかった尾山は柏樹学校を辞め、明治12年(1879)に江明学校を再開したところ、子弟も復学したという。

明治14年(1881)には私立学校として鴎島学校を開校した。

明治22年(1889)、死去。
尾山の子弟によってこの墓が建てられた。

大エリア 江差町
小エリア
所在地北海道檜山郡江差町字緑丘
制作時代
主題時代
カテゴリ 歴史, 碑・像