石川啄木像

イシカワタクボクゾウ

hako039

■碑文

(台座・表)
石川啄木

潮かをる 北の浜辺の
砂山の かの浜薔薇(ハマナス)よ
今年も 咲けるや
啄木

(裏)
昭和三十二年十月
石川啄木記念像建設期成会
製作者 本郷新

■解説

現在の啄木小公園付近は、昔は「砂山町」と呼ばれ、その名が示すとおり、大きな砂山があった。この砂山は、砂鉄の採掘などにより次第に掘りとられ消滅し、現在は その面影は残っていない。
啄木が函館にいた明治40年頃はまだ町名もなく、単に高盛とか高大盛(高大森)とかと呼ばれ、30メートルほどの砂山(砂の高もり)が湯川方面へ続き、初夏から夏にかけては、群生するハマナスのまっ赤な花が広がる砂丘であった。
その後市街地の拡大により、風景は変わってしまったが、昭和33年、啄木の記念像を建てようとする有志の人々が建設期成会を結成し、制作者本郷新の啄木像もできあがったので、議論の末、函館山を望むこの日の出町の海浜が選ばれ、啄木小公園とともに整備された。10月18日には除幕式が挙げられて、像が期成会から函館市へ贈呈されることになった。
この像は、御影石の台座の上に、右手を顎に当て、左手に本を持ち、和服袴姿で砂上に腰を下ろしている若き日の啄木の姿である。台座には上記の名前と歌が刻まれた銅板がはめ込まれている。
昭和53年4月には、国道拡張工事のため現在地に移設されている。

■参考文献

「いしぶみ」(函館市役所土木部公園緑地課 1983年)、「函館市史資料集」第37集・第46集(函館市史編纂委員会)

大エリア 函館市
小エリア 中央部地区
所在地北海道函館市日乃出町25(啄木小公園内)
制作時代 昭和
主題時代 明治
カテゴリ 碑・像