故開拓使沖鷹丸船長堀口君貞之碑

カイタクシオキタカマルセンチョウノヒ

 

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■碑文

(表)
故開拓使沖鷹丸船長堀口君貞之碑

孤軍当万衆主将奮闘不退一歩死於弾丸雨注之間以全其軍者其人雖亡而其名不没其英霊之気長在天壌之間也如開拓使沖鷹丸船長堀口君貞之死于其職其事雖異而其迹則同也明治十一年三月君発福山港航于函館比過白神岬風涛大起船不能進乃復還福山投錨以候風浪之静客之搭載者単舸送還之于岸上而風勢益猛悪怒浪雷激狂号奔騰以鼓盪我船者竟二昼夜尚不止黒雲四合不弁咫尺飛雪撲面奇寒刺骨君督衆不撓昼夜不停船之運転百方尽保存之術福山吏民等欲救之亦無術可施張篝火于岸上以示其方位而已賈舶之在近傍者相次摧破雑物器具漂散縈我船脚碍車輪君輒伝令急抜錨転針路以避之錨縢忽中断縈左輪片輪運転不復得自由既而満船皆水衆皆縋縄梯而立時激浪高貳丈許者掃船上去君及水夫四名忽失所在実三月二十七日午前第一時也已而船触于礁不能動船上人待救以上岸尋船亦得浮出終免于漂流破碎者豈非由其始防護之至耶開拓長官黒田公憫君之死於職賜金若干於遺族弔慰之蓋特典也諸同志又追悼不措勒此事于石以表永念不忘之意嗚呼君之死同于奮闘不退死於弾丸雨注之間以全其軍者君之名不没也君之霊其或翺翔于冥々之中長護我沖鷹歟
明治十四年四月 開拓使六等属小貫庸徳撰
開拓使五等属津田善行書

(裏)
一等水夫宮地忠平
三等水夫小嶋増次郎
同     村上芳蔵
同     山口孫次郎

■解説

白神沖で難破した沖鷹丸船長堀口君貞をいたみ、水夫達が1881年(明治14年)4月に建立した。

■参考文献

「函館公園」(函館市役所土木部公園緑地課 1987年)、「道南の碑」(永田青雲 幻洋社 1996年)

大エリア 函館市
小エリア 西部地区
所在地北海道函館市青柳町17(函館公園内)
制作時代 明治
主題時代 明治
カテゴリ 碑・像