鶴田知也文学碑
ツルタトモヤブンガクヒ
■碑文
(表)
不遜なれば 未来の 悉くを失う 鶴田知也書
(裏)
昭和六十年六月十五日 鶴田知也文学碑建立期成会
(副碑)
東京神学社神学校の学生だった鶴田知也は大正十一年に八 雲を訪れ、約六ケ月滞在した。九州生まれの青年の魂に、北海道なるものを満たすのに事 欠かなかった八雲を、鶴田知也は、のちに、「あの秋の紅葉の劇烈な美しさ、冬の大吹雪の厳粛な非情、などに対する感動は私を泣かしめるほどのものだった」と記した。
同人雑誌「小説」に昭和十年「コシャマイン記」を発表し、 翌十一年第三回芥川賞を受賞した。作品の舞台、特に後段の コシャマイン終焉の地がピンニラの断崖、カムイミンラの淵とされている。 小説の全編を通じて流れる格調高い美しい文章は、常に世界平和と人類愛に貫かれている。
鶴田知也は「コシャマイン記」のみならず、八雲を題材にした小説や随筆等数十編を著しており、今こそ次代を担う子供達の為に、郷土八雲が名作の舞台になっていることを、語り継ぎ、情操を育み、未来への魂の架け橋ならんとするものである。鶴田知也は、日本野草の会会長として草花のスケッチを著し「画文草木帳」や「草木図誌」等の出版を通じ活躍すると共に、「農業、農民」等の農業雑誌を編集するなど幅広く文筆活動をしている。
ここビンニラの丘に立つ文学碑はひとり八雲町のみならず、 国や北海道の協力をもって完成した、町民憩いの場所としての小公園たらんとするものである。
昭和六十年五月十五日
鶴田知也文学碑建立期成会
■除幕
昭和六十年六月十五日
■参考文献
2001『八雲町の石碑と像』高木崇世芝 編(非売品)