上ノ国町指定有形文化財 赤門の墓かみのくにちょうしていゆうけいぶんかざい あかもんのはか 蠣崎将監廣当の墓と伝えられています。将監流蠣崎家は、四世蠣崎季広の九男吉廣を初代とする蠣崎諸家で、「赤門の墓」の五代広当の養嗣孫の七代広年(弥次郎、波響)は天明年間(1781~1788、『西蝦夷地場所地名産物方程控』)から寛政年間(1789~1800)に一代限りですが、木ノ子を知行したとされています。