駒井宇一郎先生之碑
コマイウイチロウセンセイノヒ
■碑文
正面 駒井宇一郎先生之碑
側面左 大正三年十二月二十一日建之 門下生一同
■解説
「駒井宇一郎先生は、弘前市にある勘定奉行の家に生まれ、明治維新ころ熊石に来、その後関内小学校7代目の校長に着任、数学をもっとも得意とした。学校と言っても、今のような校舎はなく、いろりを囲んでの勉強で1年生から4年生まで総数わずか50人程度での授業であった。なお、氏は相沼で急逝している。42才であった。
駒井宇一郎氏の石碑の石材は、字見日の浜にうち上げられたもので、門下生一同が、一日がかりで関内観音寺まで運んだものである。
(熊石高等学校郷土史研究部発行のガリ版刷り創立20周年記念出版冊子「郷土の遺物」の駒井先生に関する文章をそのまま掲載した。)
■参考文献
■参考文献
2007『熊石史実年表』八雲町編