門昌庵石灯篭

モンショウアンイシドウロウ

NO23 門昌庵石灯篭

 

■解説

門昌庵事件の後、柏巌峰樹禅師の171回忌の法要が嘉永2(1849)年に執り行われている。この時の記録は北海道立図書館収蔵の河野常吉収集資料のなかの旧松前藩士北見政信筆の「雲石実記」という資料の中に詳しく記載されている。この法要は、藩主代替により第17世藩主崇廣侯嗣立にあわせ特に盛大に行われた。この前年門第8世昌庵住職が高野山金剛峯寺憲寿法師に柏巌和尚の追善と祟を断つための真言秘法をもって祈祷をし、その卒塔婆の揮毫を依頼していたが、旅行中頓死し、同年1月末佛学霊道和尚が九世となったが、またまた1月25日死亡したので、法憧寺の僧、量山が第10世となってこの法会を行っている。
松前藩からは、筆頭家老の松前内蔵廣純と用人の新井田右膳が参向している。廣純は、延宝6年柏巌和尚処刑の問題で家老の松前廣諶と城中で斬り合いの末死んだ松前幸廣の7代後に当たり、第13世藩主道広4男でである。また右膳は矩廣の御守役新井田好寿の末裔にあたっている。
この法要の際、現在の門昌庵開山堂が新設されその全面にある2基の灯篭はこの法会に松前内蔵廣純が寄進したものである。

■参考文献

2007『熊石史実年表』八雲町編

大エリア 八雲町
小エリア 熊石地区
所在地八雲町熊石畳岩町553
制作時代 近世
主題時代 近世
カテゴリ 碑・像