幽魂碑
ユウコンヒ
昭和四年四月二十六日深夜豪雨為泊温泉場崖崩
潰シテ家屋全滅の悲運遭ヒ哀ソノ犠牲と成リタルハ左ノ如シ
岡野 松雄 佐野 石太郎 大塚文江 山内 駒吉 山内 イト 尾形 昇 徳永 一郎
慈に温泉場復興改築ト共ニ幽魂ヲ祀ラントシテ 此碑ヲ建シ
昭和六年十一月二十六日
大塚温泉旅館主
石工 紺谷 俊治
雲石峠を下って鮎川に出る途中に見市温泉があります。山峡の湯の宿として古くから湯治に効力ありとして利用されてきました。
越後長岡藩家臣の森一馬、高井佐藤太及び従者の高野嘉左衛門が蝦夷地の巡回調査した記録に「罕有日記」(かんゆうにっき)があります。安政四年(1857)五月二十日から二十四日にかけて熊石にも来ており、その中に見市温泉の記録が見えます。「前山を抜きて見日岳見えたり、高岳にして残雪あり山裾温泉場あり此の辺より二里という。」となっていて古い時代より利用されていたことが分かります。湯元は見市川の川岸にあることから、発見も容易であったと思われます。露天風呂として住民にも利用されてきましたが、明治八年青森県鰺ヶ沢の人で大塚要吉さんという人が湯守としてこの温泉を開業し、今日に至っています。当初は現在地よりも上流にあったのですが、昭和四年豪雨による土砂崩壊のため建物が潰れ昭和六年に現在地に移転しています。
この時の犠牲者の霊魂を祀って石碑が建てられており、それは今でも見市温泉の向かいの高台にあります。
見市温泉は、温度が六十六℃、湧出量は毎分八十㍑、泉質はやや褐色、わずかに塩味を含んだ含重炭酸土類弱塩泉で適応症としては、創傷、湿疹、胆石、火傷、痔疾、糖尿病、ロイマチス、胃酸減少症に効果があり、飲用では軽度の消化器疾患、糖尿病、によいとされています。
四季折々の表情と見市川のせせらぎを楽しみながらの露天風呂は格別で好評を博しているほか、料理も熊石産の豊かな山海の素材を使って「あわびのフルコース」「ウニ鍋」「スッポン鍋」など個性的なメニューを取りそろえています。
2007『熊石史実年表』八雲町編