凱旋門跡
字鶉の旧清和小学校前にあります。
日露戦争(1904~1905)で日本軍は、旅順、奉天などで勝利を収め、ロシア海軍の頼みの綱だったバルチック艦隊を日本海海戦で撃破し、戦争に勝利しました。北海道出身兵士が所属する第七師団も中国大陸での戦闘に従事していましたが、明治39年3月に晴れて、厚沢部出身兵士の凱旋が決まると、大館 勇作氏らが兵士の功績を讃え、「凱旋門」をこの地に建てました。
凱旋門は、ナラの巨木でつくられたと言われています。長年の風雪で腐朽したため取り去られてしまいましたが、年配の方などは、今でもこの周辺を「凱旋門」と呼ぶなど、その名前を留めています。
道路を挟んで向かい側にある旧清和小学校も、「凱旋門の学校」と呼び習わされていたそうです。