鶉・旧畜産センター跡地(といっても誰もわからないですね・・・)にあります。札幌酒精厚沢部工場前と言ったほうがよいでしょう。
大正3年(1914年)に第一次世界大戦が起り、当時亜麻製品は軍需品としても多く使用され、その需要に着目した日本製麻㈱と帝国製麻㈱は、檜山南部地方への進出を計画し工場適地を探していました。
大正5年帝国製麻が鶉工場の設置を決定し、会社用地18㌶余を買収し、構内敷地5㌶余に事務所、工場、原料・製品倉庫群、社宅、独身寮、溜池などを配置して大正7年(1918)から操業を開始し、農家の栽培面積も増加して目を見張る盛業でした。
しかし、製品価格の暴落により合理化の一端として亜麻の買入価格を引き下げたところ、栽培面積が年々減少をたどり、大正12年(1923)操業五年にして閉鎖撤退に至りました。