メークイン発祥の地碑
厚沢部町新町のJA新函館厚沢部支店の裏庭にあります。
厚沢部町新町にあった檜山農事試作場で大正14年(1925)から昭和2年(1928)にかけて馬鈴薯の試験栽培が行われ、メークインが檜山地域の推奨品種となりました。
その後、福井伝一郎などの栽培指導者による品種改良や肥培管理の確立によって、厚沢部メークインがブランドとして定着しました。指導者の努力と偉業をたたえ、厚沢部町農業協同組合((JA新函館厚沢部支店)構内に「 メークイン発祥の碑」が建てられました。
■碑文
<題字>
メークイン発祥の地碑
<台座>
本碑建立の地は北海道庁立桧山 本碑建立の地は北海道庁立桧山農事試作場(明治四十三年(一九一〇)設立(昭和三八年(一九六三)廃止)の跡地である。
「メークイン」の原産は英圀といわれ本町はアスナロ桧の北限トド松の南限に住し、之が適地として昭和九年(一九三四)始めて本場に試作された。
爾来四十有余年改良増殖され今や「厚沢部メークイン」の銘柄声価は、種子、食用共に全国津々浦々に絶賛を博している。
「厚沢部メークイン」の今日あるは先覚各位の長年月に亘る汗と努力の結晶であり、なかんずく之が生産指導と、消流に生涯をかけて、福井伝一郎氏(昭和四十九年(一九七四)十二月没行年六十二才)の努力を特筆したい。
農協発足三十周年に当たり、本碑を建立し、そのゆえんを録し先覚の功績を讃えるものである。
昭和五十一年十一月十九日
厚沢部農業協同組合