文久年間(1861~1863)に鶉越道路開さく工事が行われていました。このとき、作業員として従事していた幸吉という人物がいたそうです。
幸吉は酒乱で、彼が酔っているときに、悪友が「お前のカカァーに男がいる」と冗談を言ったようです。それを信じた幸吉は、妻の「おかめ」に「殺す」と言って襲いかかりました。追いつめられて逃げ場を失ったおかめは子どもを抱いて鶉川の流れるこの崖から身を投げて亡くなりました。 しかし、崖の枯木の枝にその衣類が引っかかり数年に渡り、痛ましい光景をさらしました。
鶉村の人たちは、永年香華を供え、冥福を祈りました。哀れなおかめの最期を記憶にとどめ、「おかめ落とし」の名前とともに今に伝えています。