明治元年(1868)7月、「正義隊」と名乗る松前藩の若手藩士を中心とするグループが藩主徳広を擁護し、クーデターにより政権を握りました。正義隊は、藩の拠点を松前から厚沢部の館村へ移すことを決定しました。正義隊がなぜ、突然本拠地を移すことに決めたのかは明確ではありません。
館城の築城は、9月1日(旧暦)頃から着手され10月25日頃には工事は完了(あるいは中断)していたと考えられます。14代藩主徳広は10月28日福山城を出発、11月3日に館城に入ったと伝えられています。
11月15日に、松岡四郎次郎率いる幕府一聯隊の攻撃を受け落城しました。その後、館城は再建されることなく明治を迎えます。
発掘調査によって堀・土塁・柵で囲まれた館城の様子や、御殿の礎石などが見つかっています。