加賀七蔵氏(文久2年生)が造田池の一角に建立した記念碑です。
加賀七蔵は、明治41年に秋田県山本郡鹿渡村(現秋田県三種町)から鶉川沿いの大丁岱(現鶉町)に入植しました。入植後、大変な苦労をして畑作を中心とした耕作をおこなっていましたが、しだいに地がおとろえ、収量が低下していきました。
七蔵は、郷里(鹿渡村)でおこなわれていた稲作をめざし、灌漑計画を研究していたといわれています。この地で水田経営を成功させて生活を安定させたい願い、造田作業を続けました。
無事に水田開発に成功し、同志とともに悲願を達成した加賀七蔵は、自ら石碑を建てて、その喜びを表現したということです。