開拓記念 西田元吉翁
カイタクキネン ニシダモトキチオウ
豊田地区の開拓功労者・西田元吉の功績を顕彰するため、地域が一望できる豊田大麻比古神社境内に住民の手により建てられた。
西田翁は青森県出身で、瀬棚から入地。津田惣三郎・高谷慶治郎と協力して移民の募集に努め、豊田地区の開拓を進めた。
建立:昭和8(1933)年9月
■解説
豊田部落の開発は明治20年当時、笹森来助が熊狩りに入地したのが開基のはじまりとも伝えられているが、この地の開拓功労者は西田元吉翁である。この偉業を偲ぶ開拓記念碑は昭和8年9月、豊田住民の手により神社横に建立された。
豊田地区は犬養氏ら7人の共同貸付地であったが、未開のまま政府から土地返還の声を聞くや、西田翁は犬養氏に代わって貸付を受ける機をうかがっていた。明治28年返還が命じられると西田翁は同30年に出願し、75万坪(約250ha)の貸付に成功、植民計画を立て移民を入植させた。しかし31、32年の大洪水に遭い、離散する者も増出したが、津田惣三郎氏の協力で移民の募集に努め、北檜山町などから入地させた。このため、西田・高田・津田の冠字をとり、地名を西高津(にしこうつ)としたこともあるが、西田翁は青森県の出身で、瀬棚町から入地。豊田の前期を築き上げたとも言われ、部落内からその功績が偲ばれる。
参考文献「広報いまかね」第100号(1966年12月発行)