函館戦争陣地跡看板
ハコダテセンソウジンチアトカンバン
■解説
説明看板は道路沿いにありますが、函館戦争当時の道は山側に存在しており、陣地跡も山中に存在しています。
■観光説明板
海軍副総裁榎本武揚は、艦隊を率いて脱走し、松島湾から陸軍奉行大鳥圭介、新撰組副長土方歳三、その他合わせて二千五百余の兵を乗せ、明治元(一八六八)年十月二十日鷲ノ木村に上陸し、ただちに五稜郭に向かって進撃するとともに、新撰組分隊を派遣して落部村から長万部村まで占領しました。
翌年明治二年四月、官軍は乙部村へ上陸し、五稜郭の奪還を企て、そのうち一隊に対して、厚沢部村の安野呂から江差越を通り落部村へ進出を命じました。これを知った脱走軍は入沢に於いて迎え撃つため、急遽住民を使い土塁二十数基とその他の陣地を構築して防御を計画しましたが砲三門を擁する三百余の官軍に、少数では勝目がないとみて五月三日いずれかへ退散してしまいました。
この土塁は、今もこの南方の丘陵地帯に昔の面影を残しています。
八雲町教育委員会