厚沢部町字上里の俄虫温泉旅館や上里温泉の湯元です。江戸時代から「イヤシナイの湯」として知られています。
弘化3年(1846)に厚沢部川流域の村々を訪れた松浦武四郎は意養温泉について、「温泉には金気が多いこと」、「辺鄙なところにあるため湯治客は少ないこと」などを記しています。
近代にはいると佐藤トミ氏などが温泉宿を経営し、湯治場としてにぎわったそうです。また、明治9年建立の久須志神社があったといわれています。
意養川を挟んだ対岸には「意養鉱山」があります。昭和12年(1937)に発見され、昭和26年ごろまで硫化鉄鉱の採掘がおこなわれていました。3か所に坑道があったといわれていますが、現在はすべてふさがっています。