楠母・孔母・孟母 頌徳碑

ナンボ・コウボ・モウボショウトクヒ

楠母・孔母・孟母の頌徳碑(晩翠の森)

■碑文

楠母

孔母

孟母

頌徳碑

■解説

丹羽五郎は、理想郷「丹羽村」建設のため必要不可欠な「人づくり」のうち、最も大成な女子の教育に力を注がなければならないと考え、その婦道(女性として守らなければならない道)、婦徳(女性としてそなえるべき徳)、婦功(女性の仕事、妻としてなすべき仕事)等を教えるための施設として女子学寮(通称花嫁学校)を、丹羽家別荘近くに設け、全寮制として運営し教育の効果を高めるよう配慮し、その究極的な理想像として楠母・孔母・孟母の三母の頌徳碑をその庭に建立した。

大エリア せたな町
小エリア 北檜山地区
所在地久遠郡せたな町北檜山区丹羽
制作時代 大正
主題時代 大正
カテゴリ 碑・像
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