明治3年、プロシア(ドイツ)人R.ガルトネルから取り戻し、翌年に開拓使が引き継ぎ、西洋式農法をとりいれた試験農園を開いた。名称が度々変わったため、通称「七重官園」と呼ばれる。東京、札幌、根室、七重に置かれた4つの官園の中でも、七重官園は特に実験的な要素が強く、その事業内容は農業に限らず、林業・酪農・養蚕・勧業にまで及び、チーズやハムの製造など行われていた。ここでは、北海道酪農の父と呼ばれるエドウィン・ダンや札幌農学校初代教頭クラーク博士も教鞭をとったことがある。現在、七重小学校校舎の場所は、かつて官園事務所があった場所で、今では、国道沿いの石垣が往時の様相を伝えている。