道道大沼公園鹿部線沿いの黒松並木

ドウドウオオヌマコウエンシカベセンゾイノクロマツナミキ

道道大沼公園鹿部線沿いの黒松並木
黒松並木

 

昭和4年の駒ケ岳大噴火により、鹿部村は一夜にして火山灰や軽石に被われ、廃村の危機といわれるほどだった。

復興の一環で、村では昭和6年頃から、落葉松などの苗木約3,000本を取り寄せ植樹。土中に硫黄分が多くて植樹は難しいと考えられたが、幸いにも芽吹きを確認したため、翌7年には約10,000本の植樹を推進し、鹿部に緑化運動が始まった。昭和8年には渡島支庁からニセアカシアや松などの種が届けられ、大沼在住の工藤啓五郎と中村駒次郎(当時の鹿部村収入役)によって育成された。

二人が育成したものは苗木となり、後に希望する村民へ配布したが、ニセアカシアの希望者は少なかったためそのまま残されたが、昭和10年に、残った黒松が中村家によって道道わきに移植され、黒松並木が作られたという。

平成3年ごろ、鹿部町の保全事業の一環で75本の補植が行われるなど、鹿部町にとって災害復興の象徴ともいえる松並木である。

大エリア 鹿部町
小エリア
所在地茅部郡鹿部町宮浜
制作時代 昭和
主題時代 昭和
カテゴリ 自然
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