日本基督教団函館教会

ニホンキリストキョウダンハコダテキョウカイ

■解説

日本基督教団函館教会

明治6年(1873年)12月に、アメリカからメソジスト派の宣教師M.C.ハリスが来日し、翌年1月に函館で伝道を始めた。「函館美以教会」と名付けられたこの教会は、プロテスタント教会では国内で3番目に古いものである。来函当時は、ドイツ人代弁領事殺害事件が起きるなど、不穏な世情であったが、ハリスは恐れることなく布教に身を捧げた。また彼は札幌でも伝道し、内村鑑三や新渡戸稲造など札幌農学校(現北海道大学)の学生の指導にあたり、洗礼を授けた。
一方ハリス夫人は女子教育に尽力し、これがカロライン・ライト・メモリアル女学校(遺愛学院)設立の契機となった。
教会堂は、明治10年(1877年)に建てられたが、火災により焼失するなどの後、昭和6年 (1931年)に現在の教会堂「ハリス監督記念礼拝堂」が建った。昭和16年(1941年)に、プロテスタントの教派の合流があり、現在の教会名となっている。
函館市

■観光説明板

明治6(1874)年12月に、アメリカからメソジスト派の宣教師M.C.ハリスが来日し、翌年1月に函館で伝道を始めた。「函館美以教会」と名付けられたこの教会は、プロテスタント教会では国内で3番目に古いものである。来函当時は、ドイツ人代弁領事殺害事件が起きるなど、不穏な世情であったが、ハリスは恐れることなく布教に身を捧げた。また彼は札幌にも伝道し、内村鑑三や新渡戸稲造など札幌農学校(現北海道大学)の学生の指導にあたり、洗礼を授けた。
一方ハリス夫人は女子教育に尽力し、これがカロライン・ライト・メモリアル女学校(現遺愛学院)設立の契機となった。
教会堂は、明治10年に建てられたが、火災により焼失し、数度の変遷を経て、昭和6(1931)年に現在の教会堂「ハリス監督記念礼拝堂」が建った。
昭和16年に、プロテスタントの教派の合流があり、現在の教会名となっている。

函館市

描述

日本基督教团函馆教会

明治6年(1873年)12月,来自美国的卫理公会教派传教师M. C.哈里斯(M. C. Harris)来到日本,隔年1月开始在函馆传教。被命名为“函馆美以教会”的这座教会是日本国内第3久远的新教教会。来函之际正逢德国的代理领事杀害事件发生,情势紧张,哈里斯仍不畏困难为了宣扬教派前来。他也曾在札幌传教,指导内村鉴三与新渡户稻造等札幌农学校(现北海道大学)的学生并为他们洗礼。
另一边哈里斯的夫人也为了女子教育不遗余力,成为了凯洛琳莱特(Caroline Wright)纪念女校(遗爱学院)设立的契机。
教会堂建于明治10年(1877年),经历火灾烧毁等祸事以后,昭和6年 (1931年)兴建了现在的教会堂“哈里斯监督纪念礼拜堂”。昭和16年(1941年)由于发生了新教教派合并,教会也改成了如今的名称。
函馆市

描述

日本基督教團函館教會

明治6年(1873年)12月,來自美國的衛理公會教派傳教師M. C.哈里斯(M. C. Harris)來到日本,隔年1月開始在函館傳教。被命名為「函館美以教會」的這座教會是日本國內第3久遠的新教教會。來函之際正逢德國的代理領事殺害事件發生,情勢緊張,哈里斯仍不畏困難為了宣揚教派前來。他也曾在札幌傳教,指導內村鑑三與新渡戶稻造等札幌農學校(現北海道大學)的學生並為他們洗禮。
另一邊哈里斯的夫人也為了女子教育不遺餘力,成為了凱洛琳萊特(Caroline Wright)紀念女校(遺愛學院)設立的契機。
教會堂建於明治10年(1877年),經歷火災燒毀等禍事以後,昭和6年 (1931年)興建了現在的教會堂「哈里斯監督紀念禮拜堂」。昭和16年(1941年)由於發生了新教教派合併,教會也改成了如今的名稱。
函館市

คำอธิบาย

อดีตสถานกงสุลอังกฤษประจำฮาโกดาเตะ (หอรำลึกการเปิดท่าเรือ)

ที่ฮาโกดาเตะ เริ่มตั้งสถานกงสุลอังกฤษขึ้นในปีอันเซที่ 6 (ค.ศ.1859) เป็นตอนที่ญี่ปุ่นเปิดท่าเรือเพื่อเป็นท่าเรือทำการค้ากับต่างประเทศเป็นครั้งแรก ที่ฮาโกดาเตะ นับเป็นสถานกงสุลอันดับที่ 3 ต่อจาก สหรัฐอเมริกา และรัสเซีย ฮอดจ์สัน ซึ่งเป็นกงสุลคนแรก ได้เปิดที่วัดโชเมียวจิ ปีบุงคิวที่ 3 (ค.ศ.1863) สร้างสถานกงสุลขึ้นใหม่ทางทิศตะวันตกติดกับโบสถ์ออธอดอกซ์ ที่ตำบลโมโตะมาจิ แต่ก็เกิดไฟไหม้ขึ้นสองสามครั้ง
อาคารหลังนี้ ออกแบบโดยกรมก่อสร้างเซี่ยงไฮ้ กระทรวงการก่อสร้างของรัฐบาลอังกฤษ สร้างเสร็จในปีไทโชที่ 2 (ค.ศ. 1913) และถูกใช้เป็นสถานกงสุลจนกระทั่งปิดตัวลงในปีโชวะที่ 9 (ค.ศ.1934)
ตั้งแต่เดือนสิงหาคม ปีเฮเซที่ 4 (ค.ศ.1992) หอประชุมที่ระลึกการเปิดท่าเรือ ห้องจัดนิทรรศการเพื่อถ่ายทอดประวัติศาสตร์การเปิดท่าเรือ เปิดคาเฟ่ที่สามารถจะเพลิดเพลินกับชาและขนม ในบรรยากาศทางการทูต และเปิดให้บุคคลทั่วไปเข้าชม

大エリア 函館市
小エリア 西部地区
所在地函館市元町31
制作時代 昭和
主題時代 明治, 大正, 昭和, 平成
カテゴリ 未分類