護国神社
ゴコクジンジャ
函館護國神社
明治2年(1869年)、箱館戦争が終わって、兵部省は新政府側の戦没者を慰霊するために、招魂場を造営した。 境内に「招魂場」という大石があるのは、その時のものである。
同7年(1874年)に招魂社となり、昭和14年(1939年)に函館護國神社となった。
現在の社殿は昭和17年(1942年)に完成したものである。
ここには、箱館戦争以降、西南の役、日清戦争から第二次世界大戦に至るまでの戦没者の霊が祀られている。
境内には新政府側戦没者の墓や慰霊碑などがある。
函館市
明治2(1869)年、箱館戦争が終わって、兵部省は新政府側の戦没者を慰霊するために、招魂場を造営した。境内に「招魂場」という大石があるのは、その時のものである。
同7年に招魂社となり、昭和14(1939)年に護国神社となった。
現在の社殿は昭和17年に完成したものである。
ここには、箱館戦争以降、西南の役、日清戦争から第二次世界大戦に至るまでの、戦没者の霊が祀られている。境内には新政府側戦没者の墓や慰霊碑などがある。
函館市
函馆护国神社
明治2年(1869年),箱馆战争告终,兵部省新政府侧打造招魂场以慰战时亡灵。里面被称作“招魂场”的大石是从那时就有的。
明治7年(1874年)改为招魂社,昭和14年(1939年)变成函馆护国神社。
现在的社殿完成于昭和17年(1942年)。
这里供奉著箱馆战争之后包含西南之役、日清战争到第二次世界大战为止的战争阵亡者。
里面还设有新政府一侧战争阵亡者的墓地和慰灵碑等。
函馆市
函館護國神社
明治2年(1869年),箱館戰爭告終,兵部省新政府側打造招魂場以慰戰時亡靈。裡面被稱作「招魂場」的大石是從那時就有的。
明治7年(1874年)改為招魂社,昭和14年(1939年)變成函館護國神社。
現在的社殿完成於昭和17年(1942年)。
這裡供奉著箱館戰爭之後包含西南之役、日清戰爭到第二次世界大戰為止的戰爭陣亡者。
裡面還設有新政府一側戰爭陣亡者的墓地跟慰靈碑等。
函館市
ศาลเจ้าฮาโกดาเตะโกะโคคุ
"ปีเมจิที่ 2 (ค.ศ. 1869) หลังจากสงครามฮาโกดาเตะสิ้นสุดลง กระทรวงกิจการทหารได้สร้างศาลขึ้นเพื่อไว้ทุกข์ให้กับทหารฝ่ายรัฐบาลใหม่ที่เสียชีวิต ในบริเวณศาลเจ้า มีหินก้อนใหญ่ที่เรียกว่า ""โชคงโจ"" เป็นหินที่มีมาตั้งแต่ในสมัยนั้น
"
ปีเมจิที่ 7 (ค.ศ. 1874) เปลี่ยนชื่อเป็นศาลเจ้าโชคง และเปลี่ยนชื่อเป็น ศาลเจ้าฮาโกดาเตะโกะโคคุ ในปีโชวะที่ 14 (ค.ศ.1939)
ศาลเจ้าหลังปัจจุบัน สร้างเสร็จในปีโชวะที่ 17 (ค.ศ.1942)
วิญญาณทหารผู้เสียชีวิตในสงคราม ตั้งแต่สงครามฮาโกดาเตะ สงครามตะวันตกเฉียงใต้ สงครามญี่ปุ่น-ชิง ไปจนถึงสงครามโลกครั้งที่ 2 ถูกอัญเชิญมาสิงสถิตย์อยู่ที่นี่
ในบริเวณศาลเจ้า มีสุสานและอนุสรณ์เพื่อไว้ทุกข์ให้แก่ผู้เสียชีวิตฝ่ายรัฐบาลใหม่ในสงคราม